作者のプロフィール

「音楽聴き比べ言いたい放題」という副題で作成した当該ブログもリニューアルと共にプロフィールを修正しておいた。

1958年:東京都新宿区に産まれる。
学校教材用の作曲家。また付随して作詞家でもある。

趣味は、横に浅くなるために手を出さない分野が山ほどある。
音楽のために培ったエレクトロニクス、有線無線問わず情報通信など。
自動制御やフローチャートから書くプログラミングでアルバイトをした。profile.jpg

■音楽の遍歴■

1966年:兄の影響で、ソノシートによる通信講座でガットギターを始める。クラシックの定番である今は亡きナルシソ・イエペス氏の楽曲を演奏する。

1968年:ギターの演奏曲のジャンルもクラシックから、フォークソングへと移り始める。一方オーケストラの指揮者へのあこがれから、鼓笛隊の指揮を校内で始める。

1970年:父親の勤務先の影響で転校することになり、転校先の担任教師が音楽の教師だったため、科学クラブ所属から一転して、ブラスバンドへと入部を余儀なくされる。その時の楽器は、Euphoniumを担当する。

1971年:音楽教科の課題から、作曲をすることとなり、以後それがきっかけで作曲を続ける。一方ブラスバンドは先輩の卒業に伴って、Tromboneへとシフトする。

1972年:インストルメンタル曲だけではつまらなくなり、募集をかけ人の作詞に曲を書き始めるが、それでも作曲量に追いつかないため、自作の作詞を同時にすることとなる。一方音楽室に出入りすることが多くなり、当時ポリフォニックのエレクトーンを独学で演奏するようになる。

1973年:高校時代は、一切テレビを見ることもせず、アルバイトをして購入したコンポーネント・タイプのFMチューナーとカセット・デッキでをエア・チェックする毎日で。好みもジャズ・ソウル等に興味が移ってゆく。

1976年:まだ情報化時代には程遠い頃に、通信工学科でコンピュータを専攻し、プログラミングを余儀なくされる。クラブではロック・バンドを結成し、ドラムスを担当する。

1980年:何時の間にか音楽の好みがポップス系となる。テープデッキ二台におけるピンポン録音に音質の劣化を懸念し、4トラックMTRによる一人四役の演奏を録音する。E.Piano、E.Guitar、リズムマシンを駆使する。

1983年:デモテープには欠かせないため、ベース・ギター(E.G)が仲間入り。オリジナルな編曲活動を構築し始め、作曲及び編曲家へと突入する。

1987年:より多くの楽器の音色数を求め、シンセサイザーが仲間入り。パソコンを購入したものの、当初は資金調達のためにプログラムを書き、とあるアルバイトの効率を4倍に上げる。

1990年:DTMの世界に突入する。初めは単体のシーケンサーに音源、リズムマシンなどを組み合わせていたのだが、独自フォーマットのため、データに互換性がなく、機種を変えるたび、アレンジ、ミックスダウンを微調整するものの、完全互換とはならぬため同じ曲の修正作業に追われ、さらにFM音源からPCM音源へと変化したために、エフェクター要素の修正を余儀なくされる。

1993年:1991年にRP-001スタンダードMIDIファイル承認の後、SMFフォーマットが確立して、業界はパソコンによるDTMの世界に突入されてしまう。今までのデータは完全に使うことが出来なくなり、またシーケンス・ソフトも定まらず、ソフトを変えるたびにやり直しの繰り返しで、もううんざりとなった。

2003年:時は10年ふっ飛んで、アコースティックに限りなく近く、ディジタル・データ変換が容易なため、利便性の備わったデジピを初めて購入し弾いてきた。音楽理論も楽器演奏も皆独学である。

2010年:洋書関連の理論書により、バークリー・メソッドやマーク・レヴィンと国内の出版書との相違点やまとめを行っている。和製英語や音楽用語ならぬ造語、俗語が次々と産み出される不可思議な流派が浮かれて動画制作に励む人間がいかにも奇妙に見えている。

2020年:近年音楽理論書発刊数が激増する背景と反比例するかのように、ポップス界の水準が低下している現実を鑑み、現時点での音響機器・機材を一新してみた。ステージピアノによる過去のアーティストの創作してきた音色の特徴の再現と共に今後の動向、趣向の推移をディジタル機材をあえてアナログの操作性を重視して創作の原点を自ら再検討することによる「音楽」の総合的な洗い直しで、エンタメ界の支えになればと思う。

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